いじり
本来いじめと違うが…
「いじり」は、本来は相手を揺さぶりつつも、相手や場を助けるための方法です。
しかし時に、相手を痛めつける「いじめ」同様になる場合あり、注意が必要です。
もくじ
(1)はじめに:いじり
精神科医の視点。今回は「いじり」についてやっていきたいと思います。よろしくお願いします。
相手を揺さぶるようなことを言うなどして、その反応も含めて場を活気づかせようとする「いじり」。
一方、受けた側がまるで「いじめ」のように感じて心に強いダメージを受けるという相談も少なくありません。
今回はこの「いじり」について見ていきたいと思います。
(2)「いじり」とは?
これは「相手を揺さぶる形での介入」です。
<「いじり」とは>
本来の「いじり」は、相手を揺さぶる形での介入を行い、それで引き出される反応を通じて、相手を助け、関係・雰囲気の改善を図る方法です。
<揺さぶる介入の例>
まず「相手の特徴への言及」があります。
あとは「相手の意外な趣味などへの言及」。
そして(リスクはありますが)相手の「前へ失敗したことへのちょっと冗談的な言及」。
<健全ないじりの条件3つ>
まずは「互いが対等である」、上下ではないところ。
そして「互いにやりとりに同意をしている」義務感ではなく、積極的に同意をしている。
そして、「互いが互いを尊重している」。信頼関係・リスペクトとも言えるかもしれません。
<悪いいじりの例>」
まず「いじる側」が「いじられる側」を「見下している」、上下関係ができている場合です。
あとは「いじられる側」が(孤立への不安などでなどでやむなくしているが)、本当はやりたくない場合。
後はどちらかもしくは両方に「信頼関係が欠如している」場合。見下し・不振などが目立つ場合です。
<信頼関係の話>
よく「いじりには信頼関係が必要」という話があります。
ここで大事なのが「信頼関係」は、あくまで「互いが自発的に」相手を信頼していること。
なのでいじる側が相手を馬鹿にしていてはこれはうまくいきません。
また「いじる側」が信頼関係あると言っていても「いじられる側」がさせられていると感じているなら、これは信頼関係ではありません。
(3)いじりといじめ
「いじり」と「いじめ」、本来は目的などは違いますが、時に混同されることがあります。
<いじめとは>
「いじめ」は、固定された上下の役割の中で、一方が相手を攻撃して揺さぶることを繰り返しやっていくことです。
する方はある種ストレス発散かもしれませんが、される方は、心身に大きく打撃を受けるというものになります。
<「いじり」と「いじめ」の違い>
本来はいじりといじめは別物です。
まず、「いじり」は、本来は「相手の助けをするというところが目的」の一方、いじめは「相手をダメージを与えるのが目的」です。
そして、関係性は「いじり」の場合は本来は「対等」双方がいじりをするはずですが、いじめになると「上下関係」一方的になります。
次に、いじりは「同意がある」一方いじめは「同意なく強制的にやる」ものです。
また「いじり」は互いの「尊重」がありますが、いじめだと「尊重はない」です。
ただし、「いじり」の中には、実際は「いじめ」と似てしまう場合があります。
<良くない「いじり」の例>
まずは「役割が固定して上下がある」。いじる側・いじられる側が固定している場合、対等ではない可能性があります。
そして、いじられる側が「やむなくやっている」立場が弱く「応じないと孤立する」などからの行動の場合は、本来の同意とは言いにくいです。
あとはいじりで「相手が傷ついている」場合。「いじり」も「いじめ」も「相手の介入」ですが、傷ついていれば「いじめ」的加害性を示唆します。
こうなってしまうと、実際ほぼ「いじめ」の状態とも言えます。
<比較:芸人さんのいじりの話>
テレビなどでの「いじり」を見た時、一見上下関係あるように見えるますが、実際は収録前に打ち合わせをしており、舞台裏とは違う事が多いとされます。
そして、「いじられる側」に関しても、一種の「職業芸」としてもういじられるということを、もうそれを芸としてやっています。
そして、いじりで「本質的には相手を立てる」こと。「相手を落とす目的じゃない」というところです。
<要注意:いじめの代替案としてのいじり>
以前は「いじめ」の問題が社会問題になっていました。
その結果、「いじめ」に関しては防止のための法制度、教育現場での対策・監視などが強化されてきました。
そのため、「表立ってのいじめ」は、以前ほどは目立たなくなりました。
ただ、逆に一種の「抜け道」として、よりマイルドな「いじり」の形で、同様の行為がされる流れを、ときに聞くことがあります。
<悪いいじりは「マウンティング的」>
悪い「いじり」ではそれを通じて、マウンティング的に相手を支配しようとします。
そして、相手を落として、自分が上という風にやっていきます。
結果として相手を尊重するのではなく、相手を「侮辱する」ところになってきます。
これは本来の「いじり」とは、表面的にやっていることは同じでも、全く目的や実際の営みは違うものになります。
こういう「悪いいじり」は決してすべきではない事です。
(4)本来あるべき「いじり」
「いじり」は、本来は「相手を助ける行動」です。
<本来あるべきいじり>
本来の「いじり」では相手の尊重と信頼を土台として、一見相手を揺さぶるという介入をします。
それは相手を助ける目的で、かつ関係性やその場の雰囲気というところを改善するために行います。
<本来のいじりの効果>
本来のいじりがうまくいったとき、様々な効果が期待できます。
例えばちょっと過熱しすぎている時にはクールダウンして正常化します。
少し冷めた感じになっていたら、少し過熱してバランスを取っていきます。
さらに相手の意外な魅力を引き出し、それを周りに周知していきます。
<本来のいじりに求められるスキル>
この本来の「いじり」のためには下記のスキルが求められますが、これはかなり「実は難しい」です。
①高度な謙虚さ
相手を見下す形が入ってしまうともう、まずいじりは成立しません。
②高度な観察力
相手の本質的にいいところはどこか。表面だけを扱うのではまずうまくいきません。
③高度な発信力
発信する能力も必要ですし、タイミングや傷つけない伝え方など、非常に高度な技術が求められます。
<困難ならば無理していじらない>
この「いじり」は、本当にあるべき姿で行えればいい部分が多いのですが、非常に難易度が高いです。
なので、それが困難であれば、逆効果になるリスクが非常に高いので、いじらないのが無難だと思われます。
(5)不本意にいじられたら
「不本意と感じた段階で「いじり」ではない」です。
<不本意ないじられ>
先ほどの定義を振り返れば、「不本意」の段階で相互同意が不成立のため、本来の「いじり」ではありません。
本来、嫌なことは拒否する権利があります。これは「いじり」に関しても同様です。
もしそれが何らかの理由で困難なら、それは「強制的な上下関係で傷つける営み」、事実上の「いじめ」です。
対策は4つ、「距離を取る」、「不当な扱いを拒否する」、「逆に堂々と乗っかる」、「環境調整」です。
①距離を取る
まずはその環境、集団・グループなどからまず離れることです。
一番現実的にうまくいきやすいのは、「他のグループに入る」こと。孤立しない形で距離を取ることが可能になります。
但し現実的には困難な場合もあり、その時は別の方法を考える必要があります。
②不当な扱いの拒否
本来は「いじり」は互いの同意がなければ成立はしません。
なので、これは同意できなければ「拒否する」権利が本来ありますし、嫌なら拒否するのが自然です。
ただ、これは困難な場合が少なくありません。
困難であれば、それは表面的には「いじり」でも実際は一種の「いじめ」ですので、そう割り切りつつ他の対策を考えます。
③堂々と乗っかる
先ほどのテレビの例を振り返ります。
そこではいじる側・いじられる側がいますが、そこで「いじられる側」が逆に「思い切りやりきってしまう」ことで、むしろいじられる側が注目されます。
その芸人さんのように、もう割り切った上で「堂々と乗っかってみる」という方法は選択肢です。
確かにうまくいけば立場と注目が逆に「いじられる側」にいき、上下関係の解消も期待できます。
ただリスクはありますので、うまくいかなかったり、現実的に行うのが難しい場合は、他の方法を考える必要があります。
④環境調整
実際、これまで3つの方法うまくいかない時、いわゆる「いじめ」に近い状態だと思われます。
その場合は、まずは「学校等に相談」します。ただ、明確ないじめでない「いじり」の場合は、対応が難しい場合も多いのが現状です。
その時に、本当につらければ学校へ行かない「不登校を選ぶ」のは現実的な方法です。
一部反論等も想定されますが、無理して「いじられ続け」本当にメンタルを壊すよりは「ましな」選択肢と思われます。
その中で、現実的には「転校」など環境を変えるのも選択肢の一つです。
これも何か納得いかない面はありますが、実際にメンタルを壊すよりは「ましな」選択肢の一つになります。
(6)まとめ
今回は精神科医の視点「いじり」というところで見てきました。
この「いじり」は、相手を揺さぶることでの介入になります。本来は「相手を立てて関係や雰囲気を改善するもの」です。
一方現実の「いじり」では、マイルド化した「いじめ」に近くなる場合もあります。
それであれば、「基本的は拒否する権利がある」ことが非常に大事な要素だと思います。
そして、不本意にいじられて、かつ拒否や距離を取ることが難しい場合は、逆に「乗っかってしまう」のも一つの方法です。
ただ、それも難しい場合も少なくないです。
その場合は、不登校や転校も含めた「環境調整」も、心を守るための現実的な選択肢の一つにはなるんじゃないかと思います。
著者:春日雄一郎(精神科医、医療法人社団Heart Station理事長)