孤独とは悪ですか?

1人目の友人は「自分」

「孤独」は交流が苦手だとなりやすく、社会生活への影響も無視できません。

 

一方で孤独を恐れ利用されるのも危険。1人目の友人は「自分自身」です。

 

動画:孤独とは悪ですか?

もくじ

 
  1. (1)ご質問:孤独とは悪ですか?
  2. (2)孤独とそのデメリット
  3. (3)孤独になりやすい人
  4. (4)孤独を避けることの落とし穴
  5. (5)1人目の友人は誰ですか?
  6. (6)まとめ
  7.  

(1)ご質問:孤独とは悪ですか?

今回お受けしましたご質問は「孤独とは悪ですか?」。

答えは「確かにデメリットは多い。しかし、悪ではない」。

(2)孤独とそのデメリット

孤独に関しては「確かにデメリットは少なくない」面があります。

<孤独とは>

孤独とは、他者や社会からある種「切り離されている」状態。

社会レベルでの「つながりの希薄化」が近年の背景ともされます。

そして、長期化すると、精神面での影響が懸念される面があります。

そして、孤独の悪影響は、「実際的な悪影響」、「社会的なイメージ」の2つに分かれます。

①実際的な影響

実際的には「対人交流から色々なものが得られなくなる」ことがデメリットです。

<対人交流で得られるもの>

まずは「感情的な支え」話したりすることで、感情的な支えになる場合があります。

後は交流で「楽しさや幸福感」を得られる方もいます。

そして、いろんな人と話すことで「新しい視点や発想」が出てくる方もいます。

孤独になると、こうしたものが得られないのは、確かにデメリットです。

<孤独でのデメリット>

まずは「慢性的な精神的なストレス」。特に寂しさなどを強く感じる場合には要注意です。

2つ目は「健康問題や生活困難」周囲との交流がないと、セルフネグレクト的に、健康問題や生活困難が生じる事があります。

3つ目は「社会的スキルの低下」、対人交流が減る事で、スキルが一種「鈍る」ことが懸念されます。

4つ目は「視点の固定化」、他の人の発想や視点が入らず、その中で考えすぎて視点が硬直化し悪循環になる事があります。

確かに「実際的なデメリットは少なくない」面があります。

②社会的なイメージ

「時に偏見にさらされることもある」ことが、特に日本では大事なポイントです。

孤独に関わる偏見の言葉の例として、「ぼっち」「陰キャ」「コミュ障」などがあります。

1)ぼっち

これは友人がおらず、孤立していることを表す俗語です。

これはえてして友人がいる側からいない側を揶揄する言葉として使われることが多いです。

そして相手へのしばしば「ネガティブな価値判断」がしばしば含まれます。

2)陰キャ

これは「内向的な人」を半ば揶揄する俗語になります。

ここでは「内向的」に本来含まれていない「暗い」等のマイナスのイメージが暗に含まれます。

そしてその逆の「陽キャ」とは、本来は性格の違いだけのはずが、とかく「上下関係」的に見られる場合もあります。

3)コミュ障

これは「対人交流の苦手さ」を半ば揶揄する俗語になります。

「不安で話せない」「空気を読まず話しすぎて場を壊す」双方の場合がありえます。

これを他者に用いるときは、やはり否定的な価値判断も含まれることが多いです。

<特に10代や同年代で多い>

10代等の同年代では「コミュ力」「友人の数」が1種のランク付けになることを聞くことがあります。

その基準では「孤独」は集団の中で低く扱われるということがあり得ます。

そしてそういう無意識のヒエラルキーを真に受ければ、「孤独=低ランク」的な「自己否定」につながります。

これはあくまで「社会的イメージ」、実際の悪影響ではないことが大事です。

「孤独のデメリット」はありますが。「イメージ」でそれが増幅されてしまっている面も否定できません。

(3)孤独になりやすい人

「対人交流には得意・苦手がある」のがポイントです。

①発達障害(ASD)

発達障害ASDは「対人面の困難(社会性の障害)」と「こだわり」の2つが特徴的な生来の発達障害です。

他者への「想像力」など、対人交流で重要なスキルの障害が指摘されます。

そして失敗体験から、さらに悪循環になる事があります。

②境界知能

境界知能は、「障害まではいかない知的な困難(IQ70-84)」です。

「マウンティング」「駆け引き」等の入り組んだ対人面への対応には困難があります。

そして失敗体験から、さらに対人面が苦手になり孤立に至ることがあります。

③社会不安障害

社会不安障害では、「人への不安」から対人交流が困難になります。

この場合の多くでは、対人スキル自体は十分ありあます。

対人スキルが大丈夫なら、不安に慣らす「脱感作」が対策です。

④過去の嫌な体験

嫌な経験を背景に、対人交流に強いストレスがかかってしまうことがあります。

関連して「自己肯定感」が低くなるとさらに交流に一歩踏み出しにくくなります。

<あくまで対人交流が「苦手」>

このように特性から対人交流が苦手になり、孤独になりやすいことがあります。

ただ、これはあくまで得意・苦手なので、苦手なことを恥じることはありません。

対人交流は、決してマウンティングの道具ではありません。

(4)孤独を避けることの落とし穴

「焦ってしまうと、落とし穴にはまることがある」事に注意です。

<孤独をあせって抜けたくなる時>

まずは「寂しさが非常に強くあってそれを何とかしたい」場面。

あとは低く見られる「ある種屈辱的な体験」があって「低く見られたくない」と思う場面。

そして自分に関しては「自分をこれ以上否定したくない」という場面がありますす。

しかし、焦った時に一種の「テイカー」に狙われるリスクに注意が必要です。

<「テイカー」とは>

「テイカ―」は相手からある種「奪う」ことで利益を得ようとする人物です。

対人面においては、相手を「支配」し「操作」することで、自分は利益を得て相手を貶める事があります。

そして「孤独を抜けたい人」がターゲットにされやすいことに注意が必要です。

<「テイカー」と交流するとどうなるか>

この「テイカ―」は、一種隙がある人を標的に、時に巧妙に近づいてきます。

では実際交流するとどうなるでしょうか。

まず、確かに「表面的な孤独」からは抜けることができます。

ただし、それは「平等」ではなく、ある種見下されて都合よく扱われてしまうことが多いです。

そして「支配」「操作」されることで、実際トラブルに巻き込まれる等の実害が出る場合もあります。

結果、「孤独である」実害よりも強い実害が出てしまうことも少なくありません。

<対人交流は「フェアトレード」>

対人交流は本来、互いに尊重される「フェアトレード」です。

あくまで対人交流は「対等」「相互信頼」「互いに与え合う」相互信頼が土台です。

この土台があって、初めて対人交流は様々な前向きな意味を持ちます。

逆に言えば「奪われる」「見下される」ことを繰り返されるような対人交流なら、それはは逆効果です。

そしてそうした「搾取される関係性」は、本来明確に「断る権利」があります。

孤独を恐れるあまり自分を一種「安売り」して、搾取されないことは非常に大事なことです。

(5)1人目の友人は誰ですか?

「それでも孤独はつらいです」という事もあるかと思います。

ここで「どんなに孤独でも一人友人はいます」とお答えすることがあります。

「それは誰ですか」という質問がありますが、「それは自分です」とお答えします。

<自分はいつでも自分と共にいる>

自分自身は生まれてから生きている限り、ずっと良くも悪くも自分の一番そばにいます。

そして、現実的に他者を変えることは難しい一方で、自分自身は変えたり調整したりすることが可能です。

そして、自分を「どう扱い」「どう声掛けするか」は、よくも悪くも自分で選んでいけます。

<たとえ孤立が深まっても>

うまくいかないとき、逆境がある時は、表面的な友人は大体離れていきます。

そして、否定的なことをいろいろ言われたりします。

これを真に受けてしまうと、さらに自己否定の悪循環になります。

そして、「信頼できる相手」さえ、急病などの不運から「頼れなくなってしまう」ことが現実的にはあります。

その中でも「自分とどう対話していくか」は自分で選ぶ余地があるということ。これは大事なことだと思います。

<自分との対話から自分の軸を見つける>

自分の経験と内面を振り返り、自分に何が大事でどうしたいか、その自分の「軸」を見出していきます。

この自分の「軸」が定まれば、いろいろな雑音や孤独に対してもぶれにくくなります。

そして、自分の軸に沿った取り組みは仮に失敗でも「経験」。それを認めて自分を信じる「自己信頼」につなげます。

<自分との対話は対人交流の第一歩>

そして「自分との対話は対人交流の第1歩」というところがあります。

「自分軸があってこそ、健全な対人交流が可能になる」面があります。

①自己信頼がない中での対人交流

自己信頼がない中での対人交流は、実は結構危険があります。

なぜならばある種「自分が信頼できない」状態では、相手に依存し、相手との距離が近くなりすぎてしまうからです。

そうなると、不利な条件でもある種相手に「すがってしまう」。すると、特に「テイカー」から「奪われ」「操作される」結果になります。

そして逆に相手に「当たってしまう」。すると仮に本意でなくても相手から様々「奪ってしまう」結果になります。

これらはいずれも健全な人間関係とは言えません。

②自己信頼がある中での対人交流

こうなってくると「信頼はするけれども依存はしない」。適切な対人距離を保った上での信頼と交流が可能になります。

それであれば、互いを尊重した「フェアトレード的な人間関係」の実践が可能です。

その中では「奪う」や「奪われる」ことはかなり減ってきます。

「まずは自分を友人として、他の友人はゆっくり焦らず作っていく」ことをお勧めします。

(6)まとめ

今回はご質問「孤独とは悪ですか」について見てきました。

孤独は確かに実際的な実害は否定できません。ただ、それ以上にイメージにより「孤独とは悪」の印象がつく場面も見られます。

孤独や対人関係は得意・苦手があります。確かに孤独になりやすい人は、それは得意・苦手なので恥じることはありません。

むしろ、「孤独から抜けないと」と焦り、その結果「搾取されてしまう」リスクに注意が必要です。

ある種、どんな孤独と逆風でも見放さない1人目の友人は「自分自身」。

そして、「自分との信頼関係(自分軸)」は逆に「健全な対人交流・友人作り」の強い土台になります。

著者:春日雄一郎(精神科医、医療法人社団Heart Station理事長)